Yonda?

『ふたり』(赤川次郎)。こんなの文学じゃないやいとナマイキだった中学生の頃、三毛猫ホームズのシリーズだと思うけど、それを読んで以来見向きもしなかった。表紙が大島弓子のイラスト、解説は鶴見俊輔だったので思わず手にした。新潮文庫だし。大林のは見たし。あ、そだった、お姉ちゃんが・・・。いきなり悲しくなる。背筋を伸ばしてまっすぐにスムーズに生きて成長していくセーラー服姿。10代の素直さ果敢さ、順序よく大人になっていく様。ウソくさいっていうかそもそも小説なんだけど、これもファンタジー。薄くて軽い悩み。それほど痛くな

『りかさん』(梨木香歩)。大人びた女のコ、おばあちゃん。静止したかのような時間と街並み、古式ゆかしき、回想と成長。市松人形や姉さん人形、お雛様の絵が浮かびあがる。ステキなモチーフだったのに中盤からちょっとなあ。段落が多すぎて文章が丁寧じゃない感じがする。会話が多いからかな?『アビゲイルの巻』の話は歴史的に有名だし。もいっこの『ミケルの庭』は紀久さんを中心にしたらすごくおもしろかっただろうし、このタイトルじゃないだろ、と思う。ミケルちゃんが死んじゃう〜ってときにはハラハラしてこあかった。なんだか期待しすぎち

『西の魔女が死んだ』(梨木香歩)。自我の芽生える少女時代に理想的な記憶。んなものがあったら今現在苦しむことはないだろなと僻んでしまうほど。麗しいトラウマ。環境は整っている。リアリティに欠けてていいんだ。ファンタジーなんだもの。エログロナンセンスの世界は決して開かれない。もちょっとおっかけよう。

『エンジェル エンジェル エンジェル』(梨木香歩)。エグったような傷を見せてくれ、悪魔に。濁り、ばばっちいものを排除したものを純粋と呼ぶ。優等生のイイコはイジメちゃいたい。物語が交錯してさわちゃんもコウちゃんも知らない、読者だけが知っていること。イイお話だった。追っかけよう。

『伊藤ふきげん製作所』(伊藤比呂美)。以前から大好きな人で、いつだったか詩の朗読会を拝聴しに行ったことがあって、お着物姿で舞台上に正座して「わたしはあんじゅひめこである」と独特なトーンでの朗読を思い出した。子育てのエッセイといったらそれまでだけど、親子関係のいいとこと無駄なとこが具体的。露骨で真っ直ぐ。ああ〜と実感もって納得したりした。ヨイ加減の無駄な関係性をいっちょんわからん親が子どもをヒキコモらせてしまう原因のひとつだと思ったりした。表紙が山本直樹のイラストってのもイイなあ。んで、その朗読会に辻じんせ

『葉桜の日』(鷺沢萠)。ヒトのどうしようもないだめだめなとこやババッチィとこなんかが抜けているからみずみずしいだの透明感だのと形容されて女性に人気の作家だったのかな。J文学以前バブル作家? もいっこの『果実の舟を川に流して』のほうが伏線がうまい具合にはってあっておもしろく読めた。『ああ、恥ずかし』(阿川佐和子ほか)。1000字くらいの文章の課題集みたいなエッセイ集。町山広美の書いた、恥ずかしさは自意識過剰のなせることってのは納得。ほっとした気分。

『できればムカつかずに生きたい』(田口ランディ)。お茶碗洗ってたら10代の頃の些末な出来事をたらたら思い出してしまった。洗いものをすると勝手に海馬が働き出す。17歳の頃って、夜遊び、ライブ、オキマリの(?)太宰治読破とか。ヒキコモッたりプチ家出したり。行ったり来たり。今もホボ同じなんだけど。日常生活での構成力と編集力を鍛えないといろんなものが崩れていきそう。ほんま。思春期に親との理解はありえないって思ったほうが生きやすいのかもと思って、ナミダ度5点

パンダのグッズがどしても欲しい〜。新潮文庫を読みあさる事にした。目標100冊読破。なぜか家にあった『スピリチュアルな人生に目覚めるために』(江原啓之)。来世の魂のために今を生きる? 来世のことなんて知るか。まあ明日未来のために今日をちゃんと過ごすってことで決着。当然っていえばそうなんだけど。